『ミッドナイトスワン』に号泣。凪沙と重ねた「母になりたい」気持ちと子育ての覚悟

こんにちは、まろぽちです。
私はアラフォーでの妊活・妊娠・出産を経て、子育てとフリーランスの仕事に奮闘する日々を送っています。

最近、YouTubeで偶然『ミッドナイトスワン』の予告編を見て、思わず涙が溢れました。

昨夜、「1時間だけ」のつもりが、画面から目が離せず最後まで一気に見てしまいました。

映画として感動もしましたが、

画面に映る彼女たちの姿が、自分の過去と重なる部分もあり共感

  • 「なんで私だけ」と何度も思ってきた幼少期の記憶。
  • 「母になりたい」と願った、シングルパパの子どもと過ごした日々。。
  • そして今、フリーランスとして子育てをする中で感じている経済的な不安。。。

この映画は、自分の力ではどうしようもない環境の中で、それでも懸命に生きている人たちの姿を描いていました。

凪沙さんや一果ちゃんと比べたら、私はまだまだ甘えているな。

我が子のために、もっと強くありたい。

そんなことを感じさせてくれた映画でした。

目次

映画『ミッドナイトスワン』とは?

2020年に公開された映画『ミッドナイトスワン』は、草彅剛さんが主演を務めた、トランスジェンダーの凪沙(なぎさ)と、親に虐待され心を閉ざした少女・一果(いちか)の物語。

【作品情報】

  • 公開年:2020年9月25日
  • 監督・脚本:内田英治
  • 主演:草彅剛(凪沙役)、服部樹咲(一果役)
  • 受賞歴:第44回日本アカデミー賞で最優秀作品賞、最優秀主演男優賞など主要6部門を受賞

映画のあらすじ

夜のショーパブで働くトランスジェンダーの凪沙(なぎさ)は、ある日、育児放棄された親戚の・一果(いちか)を預かることになります。

社会の片隅に追いやられてきた凪沙と孤独の中で生きてきた一果。

血の繋がらない二人の間に、次第に本物の親子のような愛情が芽生えていきます。

一果がバレエに魅了され、その才能を開花させていく姿を見て、凪沙は自分の夢よりも一果の未来を優先するようになっていきます。

「女性」から「母」として、一果の夢を叶えるために必死にもがき、自分を削っていく凪沙の姿が刺さりました。

この映画が問いかけるもの

「母親とはなにか」「家族のかたちとは」

という問いを静かなに突きつけてくる作品でした。

貧困やLGBTQなど、社会的マイノリティとしてくて生きる人たちの、見えない苦しみ

性別や血縁を超えた愛の形

この映画は、そんな深いテーマを私に教えてくれました。

私が深く共感した5つのエピソード

① 見た目への偏見と「なんで私だけ」と感じる生きづらさ

【映画の中で】

凪沙が鏡の前で、「何で私ばっかりこんな目に遭わなきゃいけないの…」漏らすシーン。

周囲からの好奇な目、差別的な視線。

トランスジェンダーとして生きることの孤独と苦しみが、凪沙の表情から伝わってきました。

【私の体験】人と違う葛藤

見た目へのコンプレックス

私は生後すぐに喘息になり、さらに幼稚園の頃から顔にアザ(血管腫)がありました。

小学1年生のとき、クラスメイトからイジメのようなことされたり、「気持ち悪い」と言われたことがあります。

でも、その頃の私は生きることに精一杯で、息が普通に吸えて熱がない日は学校に通うもんだと思っていました。

また、自分でもアザが嫌だったので、嫌がらせをされても仕方ないと思い、反応なく受け入れていました。

今振り返ると、一果ちゃんのように無反応だったことで、エスカレートせずに済んだのかも。

日常では、すれ違う大人から好奇な視線を向けられ、ときには「可哀想に」という声が聞こえることもありました。

同情されたり、「どうしたの?」と聞かれるのも辛かった。

登下校は下を向いて歩き、ハンカチで顔を隠すこともありました。

喘息発作での経験

喘息の発作では、思いやりと分かっていても「大丈夫?」と声をかけられるのが嫌でした。

大丈夫なわけないし、息を吸うのに必死なのに、それに返事をすることが辛かったからです。

母方の祖母は、預かっても発作を起こすとすぐ母を呼び出しました。

父方の祖母は、吸入器を使おうとすると「薬は毒だから使ってはいけない」と父と揉め、母には「甘いものを与えているからだ。食事管理が悪い」と責めました。

また、同級生に吸入器で遊ばれたことも。

なので、発作が起きても平気な顔をして、外では吸入器を隠れて使うようになりました。

小学3年生頃から喘息が少しずつ良くなり、高学年ではほとんど休まなくなりました。

ようやく友達もできたのに—中学から転校することになりました。

中学、高校と続いた「隠す日々」

中学では、幼少期よりは薄くなったけれど、まだアザがありました。

「また何か言われないか」とビクビクし、極力目立ちたくないと思いながらの生活。

次第にアザが薄くなり、高校ではニキビ跡かな?くらいになってきました。

すると、今度は過敏性腸症候群という新たな悩みが始まりました。

ガスが溜まって我慢できないという症状。

それでも、これまで休んだ遅れで何かと追いつくことに必死だったり、周りの当たり前を日々こなすことに精一杯で、向き合い方を知らずに、ただ平気な顔をして過ごすことしかできませんでした。

この悩みは20代中頃まで続き、陰口を叩かれたり、あだ名をつけられたりしました。

傷ついていないわけじゃない。気づいていないわけでもない。

「私が悪いから仕方ない」という気持ちと、「なんで私だけ」という気持ちを抱え、

悔しさや悲しさ、誰にも相談できない孤独感でいっぱいでした。

凪沙さんの「なんで私ばっかり」という言葉が、胸に深く刺さりました。

② 凪沙の「母になりたい」という想い

【映画の中で】

凪沙が一果と暮らす中で、「母になりたい」と願うようになっていく姿。

血の繋がりがなくても、一緒に暮らし、支え合ううちに、母性が芽生えていく——。

その過程が丁寧に描かれていました。

【私の体験】ステップファミリーになろうとしていた日々

私は、今の夫と出会う前に、シングルパパと同棲していたことがあります。

もともと私は生理不順がひどく、社会人になると気づくと1年来ないこともありました。

婦人科で多嚢胞性卵巣症候群と診断され、体も弱かったので
「自分は子どもが産めないかもしれない」と思っていました。

同棲を始めると、彼(シングルパパ)はいつも朝早く出勤するので、私が子どもを起こして、小学校まで送るのがルーティンになりました。

朝のだだこね、宿題での喧嘩

寝起きは特に機嫌が悪く、

「これ食べたくない」「やっぱりこの服着たくないから戻って」と毎日だだをこねられました。

宿題をさせようとして喧嘩になったこともありました。

でも、二人で過ごす時間が増えていくごとに「この子の母になりたい」

と本気で考えるようになっていました。

子どもの体調不良と、産みの母の存在

ある日、子どもが体調を崩しました。

最初に受診した医師から「精神的なストレスもあるかもしれない」と言われました。

子どもはたまに「お母さん(産みの親)に会いたい」と言うことがありました。

産みの母は、年に1回程度に会わせることがあったそうですが、ドタキャンも多く、彼は極力会わせたくないと言っていました。

私が同棲を始めると、産みの母から「子どもは大丈夫?」と連絡が来るように。

当初は「乳児を置いて出ていった人に、言われたくない」と思っていましたが、子どもの体調が少しでも良くなってほしいと考え、彼に頼んで彼女に会わせることにしました。

都合上、1時間ほどでしかたが、彼女は泣いて私に「ありがとう」と言ってくれました。

そのときは産みの母の愛情を感じました。
映画では産みの母・早織(水川あさみ)の愛情と葛藤も描かれています。

夜中に目が覚める母性本能

その後も、子どもの体調は不安定でした。

母性というのは不思議なもので、夜、子どもが「うう」と苦しそうになった瞬間、目が覚めるようになりました。

最終的に大きな病院で入院し安定するようになりました(ストレスが原因ではなかった)。

朝ごはん作戦

朝食を食べないことにも悩みました。

同僚に相談すると、
「食べたくないときは無理にあげなくていい。お腹が空いたら次から食べるよ」

とアドバイスされましたが、学童から「朝食はあげてください」と注意されました。

そこで、朝は昨日の残り物、バナナ、ヨーグルトなど3種類ほどをいつもテーブルに並べてから、子どもを起こして30分見守ることにしました。

この作戦が上手くいって、いつも15分ほどすると何か食べ始めるようになってくれました。

私が求めていたもの

凪沙が一果に「母親への愛情」を注ぐように、私もこの子に母としての愛情を注ぎたかった。

この子が映画の一果ちゃんと重なります。

別れの決断——「母親でもないくせに」

当時を振り返ると、周りが見えないくらい、その子に執着していました。

体調の急変で仕事を急に休み、眠くて作業が進まない等、

仕事に支障もでて「自分の子供でもないのに、それを休む理由にされては困る」と注意を受けました。

それでも「この子を守りたい」という気持ちのほうが勝っていました。

最終的に、「母親でもないくせに、関係ないでしょ」等の酔った産みの母に暴言を吐かれて、もう無理だと別れを決断しました。

別れる前にも、彼とも揉めると「親の気持ちなんてわからないだろ」と言われていて、どんなに頑張っても子どもの決定権はなかった

だから、予告を見て「母になりたい」という気持ちを久しぶりに思い出して、泣いてしまったのかもしれません。

産んだことの凄さと、育てることの尊さ

その後、自分で産んでみて、産むことの凄さや想いも体験しました。

だからこそ、「愛情深く育てること」は、産んだ親に劣るということはないと私は思っています。

凪沙は、一果の夢を応援し、食事を作り、彼女ために懸命に働きます。
その姿は、まぎれもなく「母」でした。

【レオンにも見た、孤独な愛の形】

ちなみに、私が一番好きな映画は「レオン」ですが、『ミッドナイトスワン』を見た後、レオンを思い出しました。プロの殺し屋レオンが、家族を殺された少女マチルダと静かな共同生活を送る中で、愛情を芽生えさせていく物語です。

孤独な二人がお互いを求め、レオンが自分を犠牲にしてでもマチルダを守ろうとする姿。不器用で純粋な愛は、血縁や社会的な立場に関係なく、凪沙が一果に注いだ愛に似ていると感じました。

③ ホルモン注射と妊活—叶わぬ想いへの痛み

【映画の中で】

凪沙が、ホルモン注射を打つシーン。

女性になりたいという願いに伴う痛みと、その後の体調不良や手が届かない葛藤。

性別適合手術を受けても、叶わなかったときの凪沙の無情感が胸に刺さりました。

【私の妊活】母になりたいという願いとその後

私は注射が苦手です。

でも、妊活が始まると、毎月打つことになります。

「産みたい」と思いながらも「普通に産める体じゃない」と落ち込み、普通の人が羨ましく思うことも。

体調が悪くなることもあるし、領収書を見ながら「何やってんだろう」と言葉にうまくできない感情が湧いてきます。

凪沙の「女性になりたい」「母になりたい」という願いのために、痛みに耐え、手術をして、それでも叶わないことや体を傷つけたことへの代償——。

その葛藤や無情感、自分を傷つけたことの痛み。

自分を消費し続けて働けなくなったときの生活への不安。

映画の最初に着飾っていた凪沙の姿や部屋と、最後のシーンの対比が、今頑張って生活している私たちと、それを手放してしまった未来重ね胸がぎゅっとなりました。

④ LGBTQの人たちの働きづらさと経済的な悩み(貧困)

【映画の中で】

凪沙が一果のために就職活動をするシーンをみて

私は今まで、一般企業で男性として産まれた人が女性の格好(その逆も)で働く姿を目にしたことがないと気づきました。

凪沙は、一果のために体を売ろうとしたり、男性の姿になって肉体労働をしようとします。

LGBTQの人たちの生きづらさ

凪沙のように、体の違和感に苦しむだけでなく、

生きるために体や心を消費して働く道を余儀なくされている人が多い

ということを、この映画を見て気づかされました。

私の経済的な悩み

フリーランスになって収入が下がっている今、

「買ってあげたいけど買えない」
「子どもが好きなこと夢を応援できる環境をつくれないのでは?」

等、経済的な悩みはついて回っています。

映画の中で、一果がバレエ教室に通うことを躊躇していたシーンが重なりました。

でも、体も心も削って一果の夢を応援する凪沙の姿を見て、甘えていたなと痛感させられました。

「うちらみたいなんはずっと1人で生きていかなきゃいかんけぇ。強ようならんといかんでぇ」

というセリフも、とても印象的でした。

「甘ったれるな私」と、映画を見終わったあとも、しばらく眠れずXに呟きました。

⑤ 凪沙が母だから見えた景色

※ここから先は映画のラストに触れています。未視聴の方はご注意ください。

【ラストシーン】

凪沙が最後に微笑んで「きれい」と呟くシーンは無常にも見えましたが、

凪沙は一果を育て、愛し、母として生きたからこそ出会えた景色

子育て(無償の愛を誰かに注ぐこと)をしたから感じられる感情や景色がある。

それを、凪沙は最後に手に入れたんだと感じました。

あの頃の自分を思い出す

シングルパパの子どもとの別れは辛かった。

しばらく抜け殻のようで、何を考えたかも思い出せません。

別れた子どもへの罪悪感はあるけれど、

あの子と暮らせたから出会えた感情、喜び、楽しさ、学びがたくさんあった

凪沙の姿を見て、必死に生きていたあの頃の自分を思い出しました。

LGBTQの人たちの生きづらさと、理解したいという気持ち

差別って難しい

正直に言うと、私も自分の息子には「誰かと結婚して家庭を持ってほしい」と思う気持ちがあります。

映画の中で、凪沙の母親が凪沙に「普通に生きてほしい」と願う気持ちもわかります。

でも

自分を偽る辛さ、誰にも頼れず、孤独を抱える苦しみ

それを息子に味わってほしくない。

凪沙は社会の中で常に“違う存在”として扱われてきました。

一果の友達のりん(上野鈴華)は、親の夢の代役となり、自分自身を見てもらえない孤独や虚しさがあったと思います。

親として

将来、息子が凪沙さんと同じ悩みを持つ可能性もある。

他人事ではありません。

だから、子どもの成長を喜び、本人の想いを受け取り、応援できる親になりたいと思いました。

社会全体が、それぞれの価値観を理解できれば

凪沙と一果の関係は、社会的には「親子」ではないかもしれない。
それでも、「誰かを想う気持ち」や「心のつながり」はその人たちのもので誰にも奪えない。

LGBTQの人たちが、ありのままの姿で働き、生きやすい社会になってほしい。

この映画を見て、もっと理解したいと強く思いました。

まとめ—「ミッドナイトスワン」が教えてくたこと

この映画から受け取ったもの

✅ 誰か想う強さ、母としての愛情
✅ 自分の力ではどうしようもない環境でも、懸命に生きている人がいる
✅ 凪沙のように子どもの夢を応援する覚悟

子育ての覚悟—私なりの愛を注ごう

子どもを育てるということに正解のない。

凪沙は不器用ながらも一果を愛しました。
完璧じゃない。でも、真っすぐで、温かい。

私自身も、母になってからもたくさんの失敗をしてきました。

「母親らしく」「周りの当たり前」よりも、

凪沙のように、子ども気持ちを大切に、応援し、懸命に生きていきたい。

「ミッドナイトスワン」を視聴できる配信サービス

この素晴らしい映画にはレンタルやAmazonプライム、Netflix等で視聴できます。

TSUTAYA DISCAS(宅配レンタル) 

Amazon Prime Video レンタル・購入可能(レンタル:550円〜) 

Netflix 見放題配信中(配信状況は変動するため要確認) Netflixで視聴する

※配信状況は2025年11月時点の情報です。最新情報は各サービスでご確認ください。

最後に

映画『ミッドナイトスワン』は、LGBTQ、母性、家族、そして愛について深く考えさせられる作品です。

妊活も、子育ても、そして生きることも。
うまくいかない時期はあります。

「なんで私だけ」と思った時に観てほしい。

凪沙のように生きづらさを抱えながらも、
一果のように傷つきながらも、
懸命に生きる二人の姿は美しかった。

誰かを想い懸命に生きる

その想いは、きっと誰かの希望になる。

私も我が子のために頑張ろうって思えた映画でした。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
同じように頑張っているあなたへ、少しでもエールが届きますように。

(スポンサーリンク)

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA



reCaptcha の認証期間が終了しました。ページを再読み込みしてください。

目次